2012年03月20日

禍福は糾える縄の如し【呟きまとめ】

3/20分、ツイッターでのツイートの纏めと加筆。



誰も幸も不幸も持ち合わせてる。
どちらに比重が寄ってるかで、その時の苦しみや辛さや哀しさもあるし、楽しさや嬉しさや喜びもある。
不幸だけじゃない、幸せだけじゃない。
同じ様に、皆一人かも知れないけど、一人じゃない。きっと誰かが傍にいる。欲しい手が届かなくても。

届けたい所に届かなくても、どこかには届く。向こうから届けられる手もある。その手があれば、まだ大丈夫。
幸も不幸も、自分の内に。それを決めるのは自分。
辛くても苦しくても哀しくても、それが今は終わりが見えなくても、それでもいつかは終わる。幸せも不幸せもいつか終わる。それの繰り返し。

禍福はあざなえる縄の如し。不安も安心も、楽しみも苦しみも、幸せも不幸せも、哀しみも喜びも、全部自分の内に。
それを自分で納得して、次の扉を開きに行こう。私もそう。今は動けなくてもいつか動く日が来る。遠くても近くても。いずれ動く。
行こう。一人じゃない。歩き出すのは一人でも。

例え一人で歩き出しても、途中から誰かが一緒に歩いてくれる。道は違っても、すぐそこを歩いてるかも知れない。立ち上がる時に手を貸してくれる人もいるかも知れない。遠くで待って呉れてる人もいるかも知れない。歩き出さなきゃ分からない。
重たい足でも、歩ける。走らなくて良いよね。大丈夫だよ

自分の幸せは誰かの不幸になる。誰かの幸せが自分の不幸せになる。
そんな時はどちらがが譲れる物じゃない。譲る物でも無い。選ぶのは自分。選ぶのは誰か。それでどちらかが幸か不幸かのどちらかに傾くのは、それはもう仕方無い。
自分の望む選択が出来ない事は多い。本当に多い。それで不幸せになったら、他の幸せで埋めるしか無い

ただ、不幸せだ、苦しい、辛い、哀しいと思った時に、他の幸せは見えない物。それは仕方無い。見えるまで待つしかない。苦しみの中で悶えるしかない。
しんどくても、自分で見えない内はどうしようも無い。誰かの手が伸ばされても、取れない時もある。自分が納得するまで悶えるしかない。

その苦しみがずっと続くかも知れない。胸の内に閉じ込めても不図した時に顔を出す。
それでも、いつかその苦しみを乗り越えたら、自分の中の幸せと不幸せは、きっと落ち着く。不幸せもいつか幸せの種になる。きっと。気持ちと視野が広くなるまで、繰り返し繰り返し、苦しみと喜びを胸の内に。

自分で納得出来るまで何度も泣こう、何度も笑おう。
それまでは、気持ちが動かないならじっとしてれば良い。足が動かないなら休んでいれば良い。時間が無いからって焦っても変わらない。時間は進むけど、心が進まないなら焦っても変わらない。ゆっくりすれば良い。

最後に決めるのは自分だからね。自分が幸せなのか不幸せなのか。苦しいのか苦しくないのか。
幸せになれなくても、せめて不幸せでは無いように。
願うならば幸せであるように。

幸せであれるように。
posted by サキク at 23:39| Comment(0) | 詩とか散文とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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